コラム
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いきなりわたくしごとで、しかも暗い出だしで恐縮だが、先日、94歳の祖母が亡くなり、あわただしく葬儀をすませた。信心とはおよそ遠くかけ離れたわが一族では、葬式とは、あんまりありがたくないお経を聞いて、昼からお膳でたべてビールのんで、ああ疲れたね、などといいかわしている数日にすぎないが、それでも一息ついて、明かりの消えた床の間でろうそくだけで灯っているのを目にしたとき、わずかな間ではあるが、祖母がぶじにたびだったと思われるどこか遠いところへ半歩だけ足をふみいれたような、ちょっぴり敬虔なきもちがいたしました。
不信心ひとすじのわたしにさえそう思わせるくらいだから、東西をとわず、この照明の発達した現代も、宗教にろうそくがつきものなのは、ろうそくの火にどこかひとの気持ちに訴えかけるなにかがあるからだろう。

床の間で灯っていたのは、ふつうのおまんじゅう型のろうそくだったが、和蝋燭をつかうのが本来かもしれない。一般的な洋ろうそくと和蝋燭では、原料やつくりかたが異なり、灯りがつよく、煤もすくない、炎が消えにくいなどの利点がある。

NICO 百年物語
http://www.nico.or.jp/hyaku/ja/2005/index.html

下段のすみに写っているのが、「小池ろうそく店」の和蝋燭。よくみかける赤地に鮮やかな彩色をした「花ろうそく」はちょっとハデかなと思うのだが、こんなふうだといい感じである。

もっとも、神仏用だからといって地味とはかぎらず、フローティングキャンドルタイプのものなどさまざまあるようだ。下のものはちょっと和菓子のような雰囲気だ。

カメヤマローソク「花づくし」
http://rosoku.kameyama.co.jp/products/new/...

きゅうに形態や用途がかわるわけでもないのに、宗教的な拘束をはなれて、かたちやいろが自由になると、きゅうに「雑貨」らしくなっていくのは不思議だ。「キャンドル」になるのだ。
上のカメヤマローソクのトップページでは、左がローソクであり、右がキャンドルである。

カメヤマローソク
http://www.kameyama.co.jp/


キャンドルワールド
https://www.candleworld.co.jp/shop/

ESTEBAN | キャンドル
http://www.esteban.co.jp/collection/candle/

儀式でもなく照明でもないのに、いまでもこれだけたくさんあり使われているのは、われわれはどうもローソク/キャンドルが好きなののである。たとえば、ちょっとしたところで呑む場合、照明を落としテーブルにキャンドルを灯していることがあるが、気分的にお酒がおいしいのでわたしは好きである。そして、とくにローソクにしろキャンドルにしろ、その灯りには、心を静かにするリラックスさせてくれる効果があるのは確かだ。

キャンドルワールド[キャンドルの不思議なチカラ]
http://www.candleworld.co.jp/chikara/

普通の電灯で会食する場合では、キャンドルの灯りで会食する場合よりも、「平均イライラ度」が高いそうである。

たべたりのんだりしなくても、疲れたりストレスを感じるときは、すこし暗い部屋でちょっとしたキャンドルを灯し、静かな音楽でも聴いてゆっくりすると、疲れやストレスがだんだんとれていくことだろう。実際、わたしの場合、なかなか効果があります。
「ストレスなさそうねえ」とよくいわれるほうだが、まったくないわけではないのだ。(櫛谷)